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清楚ながら胸に秘めた情熱を詠う 明治の女流歌人・山川登美子の記念館(生家)を訪ねる「小旅」【福井・小浜市】
福井県内の魅力を再発見する「小旅」では今回、明治時代に活躍した小浜市出身の女流歌人・山川登美子の生家「山川登美子記念館」を訪ねます。与謝野鉄幹や与謝野晶子と出会い、短歌に情熱を注いだ登美子の人生や歌を紹介します。
小浜公園の一角にある歌碑には「心の中で深くあなたを思い慕っている」と、好きな男性への秘めた思いを寄せる登美子の情熱的な恋の歌が刻まれいています。
髪ながき少女(おとめ)とうまれ
しろ百合に
額(ぬか)は伏せつつ
君をこそ思へ
市内中心部にある「山川登美子記念館」は登美子の生家で、小浜市に寄付され、遺品や作品などが展示されています。
代々、小浜藩主に仕えた由緒ある山川家に、明治12年に生まれた登美子は、15才で大阪の梅花女学校に進学すると、雑誌に短歌の投稿を始めます。
明治33年に文芸雑誌「明星」が創刊され、主宰者の与謝野鉄幹や歌仲間の与謝野晶子と親交を深めていく中で短歌の才能を開花させ、登美子の名は一躍有名となります。
記念館には、文芸雑誌「明星」や詩歌集「恋衣」、与謝野鉄幹が添削した登美子の歌稿のほかに、登美子が愛用した品々も展示されています。
皮のかばんや琴など、当時としては高価なものが多く、山川登美子が名家のお嬢様であったことを物語っています。
登美子と与謝野晶子が一緒におさまっている写真もあります。仲が良く恋のライバルでもあった2人は、ともに慕っていた与謝野鉄幹への秘めた想いを歌にして、短歌の新時代を切り開きました。
しかし、名家出身の登美子は親が決めた結婚を選び「何も言わずに愛する人を友に譲って、こらえきれず泣いている」という切ない恋の終わりを歌に詠みました。
それとなく
紅き花みなともにゆづり
そむきて泣きて忘れ草つむ
短歌に情熱を注いだ登美子でしたが、結婚後まもなく夫に先立たれ、自身も結核によって29才の若さでこの世を去ります。記念館の奥にある「終焉の間」は、登美子が最後の時を過ごした部屋です。
故郷の小浜でその短い生涯を閉じた女流歌人・山川登美子。清楚でありながら胸に秘めた情熱を表現した登美子の歌は、いまも多くの人を魅了しています。
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