街の看板なんだー? | なんだー?ワンダー! | 福井テレビ

番組情報

なんだー?ワンダー!
土曜夕方6時29分

2026年6月27日(土)放送

街の看板なんだー?

何気なく通り過ぎてきた”街の看板”・・・
今回は、視聴者から寄せられた、看板に隠された深すぎるワケを調査したジョイ!

 

「なんで2枚に分かれているの?5センチしか隙間ないのに」
福井市真栗町の県道28号線沿いに立つ、2枚に分かれた看板。隙間はわずか5センチほど。
同じ広告主なのに、わざわざ2枚に分かれて設置されているが、探ってみるとちゃんとした理由があった。

この看板を設置したのは福井市高柳にあるダイワ広告。バルーンショップも手がけるちょっと個性的なお店。
話を聞くと、業界では2枚構成の看板は「2枚で1つ」で「ニコイチ」と呼ばれるそうだ。

 

 

「ニコイチは苦肉の策」
ダイワ広告の伊藤さんによると、問題の看板が立っているのは「制限のある地域」。
福井県の屋外広告物条例により、看板の大きさや枚数に厳しい制限が設けられた区域のことだ。
「大きいほうがよく見えるんですが、面積が3平米まで、そして2個までと決まっているんです」。

つまり、1枚の大きな看板は条例違反になる。でも2枚に分ければ、それぞれが規制の範囲内に収まる。
ニコイチ看板は、制限の中でできる限りわかりやすくするための苦肉の策だった。

ちなみに福井市の看板規制は50ページ以上の資料を読み込む必要があるほど複雑で、「30年以上やっていますが、私でも分からない」と伊藤さんが苦笑するほど。

 

看板の歴史は、奈良時代にさかのぼる
そもそも看板とはいつ生まれたのか。調査員は福井市立図書館へと向かった。
福井県立大学客員教授の角鹿さんによると、日本に看板が登場したのは奈良時代の初めで、西暦718年の養老開市令にその記述が残されていた。
内容は「何を販売しているかわかるように店ごとに看板を設置しなさい」というもの。

 

それ以降も、江戸時代には「木地に墨書、金具は銅製に限る」という禁令が出されたり、明治時代には光沢ある「ホーロー看板」が登場したりと時代と共に看板はその姿を変えてきた。
ニコイチ看板が生まれたきっかけは、約10年前の条例改正。舞鶴若狭自動車道の開通と福井国体の開催を機に、県外からの来訪者を迎えるため、景観保全が重視されるようになったためだった。
看板は公共物としての景観を構成する要素である一方、生活に必要な情報を提供し、地域の経済活動に重要な役割を果たしている。
規制の中で生まれたニコイチ看板は、景観と経済活動の両立を図るシンボルと言えるのかもしれない。


「よおこそ 池田町へ」——誰が、なぜ”誤植”したのか
続いての謎看板は、池田町の入口に立つ看板、「よおこそ 池田町へ」。
「ようこそ」の「う」が「お」になっている——

町民に聞き込みをすると、看板の裏側に描かれた「耳岩」にヒントがあるのでは・・という情報を得て、8キロ先の耳岩菩薩へと向かう。かつてこの地には「稗田」という集落があり、耳の形をした岩にお祈りすると耳の病気が治るという言い伝えがあったという。しかし、その集落は昭和30年頃に廃村となっていた。

 

池田町役場に問い合わると、「故郷を出た方が、自分のふるさとに人が来てほしいという思いで立てたのでは」と推察されるが、看板の「う」が「お」になった理由は「分からない」とのこと。

 

 

 

「わざと引っかかりを作ったのかも」
真相は判明しなかったが、調査員はある結論を導き出したー。
「なんで、”よおこそ”なんだろうって引っかかる人を増やして、気にかけてもらうために、わざと『お』にしたのかもしれない」
確かめる術はありませんが、廃村となった故郷を忘れないでほしいという元住民の想いが、あの一文字に宿っているのかもしれない。

街に無数にある看板。景観と経済活動を両立した産物だったり、誰かの地元愛だったり——通り過ぎるだけではもったいない「ワンダー」が、そこには潜んでいたジョイ!