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福井地震から77年 戦禍を逃れるも…石垣が崩れ“天守が飛んだ” 地域のシンボル「丸岡城」再建に隠された秘話

2025.06.27 19:00

77年前の昭和23年(1948年)の6月28日は福井地震が発生した日です。 嶺北を中心に3万4000棟が倒壊し、3769人が犠牲となりました。また、震源地に近い丸岡城にも大きな被害が出ました。今年は“昭和100年”にあたる年。丸岡城にとって“激動の100年”でした。地震による倒壊から復旧し、地域に愛されたシンボルには再建秘話がありました。

 

◆地元からは“お天守”と親しまれた丸岡城

 

子供たちの良い遊でもあった丸岡城

 

「この城の周りが、かくれんぼの一番いい遊び場だった…」
 
丸岡城の近くに住む林田恒正さん(86)は、坂井市丸岡町に生まれ、お城とともに歩んできました。
 
「懐かしいね…」
 
丸岡城は戦国時代、織田信長の家臣・柴田勝豊(かつとよ)が築城。現在の天守は、江戸時代に造られた部材が多く残り、国の重要文化財に指定されています。天守がつくられて、約400年。このうち直近の100年は“激動の時代”でした。

 

解体工事が行われた昭和15年頃

 

昭和初期の丸岡城を映した映像からは、この頃すでに花見の名所だったことがうかがえます。地域住民からは親しみを込めて「お天守」と呼ばれ、生活にとけ込んでいました。
  
そして昭和15年から17年にかけて、老朽化のため傷んでいた丸岡城は、大規模な解体修理工事が行われました。その様子が鮮明に記録されている貴重な映像には、鯱(しゃちほこ)を運び出す様子も映し出されています。
  
昭和17年、丸岡城は太平洋戦争真っただ中に修理工事を終えました。
  
幸運にも、戦禍を免れて終戦。しかし…

 

◆修理完了から6年後に被災

 

震度6の福井地震で倒壊した天守閣

 

1948年6月28日、丸岡付近を震源とする福井地震が発生。修理工事から、わずか6年後のことでした―
     
林田さんは当時の状況をこう振り返ります。
「ゴーっと音がして、その途端に横揺れ。もう立っていられなくなり転がって…」
   
地震の揺れに「震度7」が設けられるきっかけとなった激しい揺れに見舞われ、丸岡城の石垣が崩落。天守も完全に倒壊しました。
  
「家がボンボンつぶれていくのを見た。城を見たら、城はない。そんな状況…」
  
城は石垣から浮き上がり、“天守がとんだ”と言われるほどの揺れだったといいます。
   
「お城どころではなく、自分の命がどうなるか、家のことだけで…」

 

◆地元住民や全国からの寄付で再建へ―

 

龍翔館に残る霞ヶ城芳名録

 

それでも数年後、まちの再建が進むと―
  
「みんなの学校ができる、役場もでき上がる。そしたらやっぱり“象徴”の丸岡城を
復元しないといけないという声があちこちから上がってきた」(林田さん)
  
市民は再建に向けて立ち上がったのです。
  
このとき寄付した人たちの名簿が、坂井市の龍翔博物館に残っています。
  
坂井市・丸岡城国宝化推進室 角明浩学芸員:
「こちらが霞ヶ城芳名録です。(全国の)個人や企業・自治体など1000以上が記されている」
   
名簿の先頭には「荒田太吉」の名前が。丸岡町出身で、北海道の海運業で成功した実業家でした。この荒田氏の協力をきっかけに、次々と地元や全国から寄付が集まりました。

 

◆震災前の解体工事の写真と図面が修復の手がかりに

 

技師・竹原吉助さんが残した解体工事の際の写真

 

この修復に際しては、もう一つの「幸運」が重なりました。
  
「技師の竹原吉助さんが撮影された写真が非常に大きくて…」(角学芸員)
  
地震の前に行われた解体工事で、国から派遣された技術者がその詳細を160枚以上の写真と図面に残していたのです。
  
こうした資料を手がかりに、崩れた部材を一つずつ特定しながら再建。
  
「その時の写真があったという“めぐり合わせ”…やはり、この写真が果たした役割は大きかった」(角学芸員)

 

昭和30年に再建した丸岡城

 

地震による倒壊から7年後の昭和30年3月、丸岡城は元の姿を取り戻しました。
  
祖父が修復工事の棟梁だった地元に住む西浦進さんは、丸岡城は地域の誇りだと話します。「地元のみなさんの“心のよりどころ”ですよ。50年、100年後も故郷の誇れるものとして大事にしていきたい」
   
平成に入り、丸岡町長を務めた林田さんも「丸岡城はやっぱり、この町にとってなくてはならないものだと思う」と力を込めます。
  
10年ほど前からは「国宝化」を目指す動きも生まれています。多くの人の思いがあって、消滅の危機を乗り越えた“奇跡の城”丸岡城。
  
いまも、これからも、変わらず地域に安心感を与えます。

 

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