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福井地震から78年 森田地区に遺された犠牲者の記憶を刻む「学童慰霊碑」と「震災観音堂」 教訓を次世代へつなぐ住民たちの想い

2026.06.26 20:30

坂井市丸岡町を震源とし、マグニチュード7.1の激震が嶺北一帯を襲い死者3700人を出した福井地震。震源に近かった福井市森田地区(旧森田町)ではほぼ全ての家屋が全壊し、264人が犠牲となりました。2026年6月28日で発生から78年。その事実を伝える2つの遺構から、惨状と教訓をどう継承すべきか考えます。

 

◆震源に近い森田地区にたたずむ「学童慰霊碑」

 

福井市北部、旧森田中学校近くには「罹災学童慰霊碑」がたたずんでいます。
    
福井地震の当時、小学2年生だった尾田光吉さん(85)は夕方、校庭で地震にあいました。
     
「人間が1メートルも2メートルと吹き飛んだ…あちこちに。校庭の8割がバサーっと割れて、一瞬のうちに1メートル以上の段差ができた。その時に女の人が地面の割れ目に入って…髪の毛だけが出てました」
  
これまで語ることのなかった惨状です。

 

福井地震は、1948年(昭和23年)6月28日に坂井市丸岡町付近を震源とするマグニチュード7.1の揺れが嶺北一帯を襲いました。死者は3700人を超え、のちに「震度7」が新設されるきっかけとなった激震でした。
     
【記録映像】
「森田町…まちの全家屋が押しつぶされ、この地震のまれに見る激しさを物語っています」
    
各地で学校が全壊。尾田さんが通っていた森田第2小学校も倒壊しました。「地震から1時間ほど経って火が上がった。校庭にいて『熱い』『助けて』という声が聞こえた」(尾田さん)
      
地震の3カ月前に撮影された校舎の写真がいまも残されています。しかし校舎は全焼し、当時5年生の児童6人が犠牲になりました。
   
「罹災学童慰霊碑」は、この事実をいまに伝えているのです。
        
近くに住む尾田さんは定期的に慰霊碑に足を運び、供養を続けています。
 
当時のことを思い出したくないという気持ちを抱えてきた尾田さん。しかし「もう誰も話ができる者がいないから、自分が伝えようという気持ちになった」といいます。ただ「本当は話したくないし、まだまだ言えないこともあります」

 

◆ハピラインふくい森田駅前にある「地震観音堂」

 

そして、もう一つ。ハピラインふくい森田駅前にあるのが、地震の3年後に犠牲者を悼んで建てられた「震災観音堂」です。地震の3年後に建てられ、地元の自治会が管理を続けています。
    
自治会の区長、吉田正和さんによると「当時、森田町の有志が土地を寄贈、寄付を募って建てた」もので6月28日には毎年、法要を行っています。
       
近くに住む上田月照さん(85)は地震の当時8歳でした。「妹と2人で遊んでいて、妹がお腹が空いたと言っておやつを取りに家に入った時に大きな地震が起きたんです」
    
2歳年下の妹・常子さんは、家の下敷きになり亡くなりました。
  
特別に観音堂の内部を見せてもらうと、森田で亡くなった264人をはじめ、約300人の位牌が丁寧に保管されていました。
 
「あった、あった…」
 
そこには、常子さんの位牌も。
  
「心の中は、いつまで経っても休まることはないです。小さいながらもずっと法要を続けていってほしいと思います」と上田さん。
  
区長の吉田さんは「先人がバトンを渡してくれた。地震はいつ起きるか分からないので、次の世代にしっかりとバトンを渡していきたい」と話します。
    
地震から長い年月が経ち、記憶は必ず薄れていきます。しかし、先人が残した石碑とお堂は、78年前の事実と教訓をこれからも伝え続けます。

 

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