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「日本はこれでいいのか」生涯かけ国家と平和を問い続けた若泉敬氏、没後30年 「沖縄だけの問題じゃない」訴え続けた想い

2026.07.06 20:25

1972年の沖縄返還に尽力した福井県越前市出身の国際政治学者・若泉敬氏が亡くなって30年を迎えます。生前親交のあった人などが5日、若泉氏の墓前に集い遺徳をしのびました。

 

鯖江市にある総山墓園ある、大きな地球儀の形をした若泉敬氏の墓には、若泉氏が生涯大切にしていた「志」の文字が刻まれ、台座には沖縄を象徴するシーサーが置かれています。
   
54年前の沖縄返還交渉で若泉敬氏は当時、佐藤栄作総理の密使としてアメリカと交渉し、緊急時には沖縄への核兵器の再持ち込みを認めるという密約に関わりました。
  
この密約により強い自責の念にかられた若泉氏は1994年、沖縄県知事と県民にあてて「歎願状」いわゆる遺書をしたためました。そこには「歴史に対して負っている私の重い結果責任をとり自裁します」との言葉が。返還交渉の結果責任を取るため自死する覚悟と、県民への謝罪の言葉が綴られていたのです。
     
そして約2年後、若泉氏は66歳で自ら命を絶ちました。

 

若泉氏が亡くなって30年。県内有志の会が結成され、墓参り法要を企画しました。
  
7月5日、鯖江市にある若泉氏の墓には、若泉氏の書いた遺書が去年寄贈された沖縄県公文書館の専門員仲本和彦さんや生前親交のあった元外務事務次官の谷内正太郎氏ら、県内外から60人が集い、手を合わせました。
  
沖縄県公文書館公文書管理課・仲本和彦さん:
「若泉さんから託されたバトンを福井のみなさんから沖縄へ。そして沖縄から未来へと責任をもって引き継いでいきたい」
  
学生時代に1年間、若泉氏の家に居候していた谷内正太郎氏は若泉氏の印象についてこう話します。「若泉さんは、大事な話となると恐るべき迫力で迫る。亡くなる2、3年前には『いまの日本はこれでいいのか』と厳しく叱られた」

 

沖縄のテレビ局に30年以上勤務し沖縄で唯一、若泉氏と接触できたメディア関係者の具志堅勝也氏(71)は、若泉氏はこれまで出会ったことのない政府関係者の1人だったと話します。「政府関係者の言葉は沖縄県民にとって、いつも軽くてあまりにも軽すぎて。だけど、生まれて初めて、沖縄返還に携わった政府関係者の中で、初めて沖縄に対して申し訳ないと、自裁を覚悟するまで申し訳ないと思った大和の人に初めて会った」
      
沖縄が本土に復帰した後も、米軍基地は沖縄に全国の7割が集中していて、変わらない現状が続いています。これについて具志堅さんは、沖縄の問題にとどまらないと強調します。「軍備では沖縄は飽和状態で、これ以上軍備を強化するなら本土に作るしかない。いずれ本土が沖縄化され、いろんなことでアメリカの思い通りに日本がどんどん軍備化されていく。沖縄から見たらそれがよく見えてくる。これは若泉さんも言っていた。沖縄だけの問題じゃない、いずれみなさんのとこに来ますよ、と」
  
さらにこう続けます。「若泉さんの足跡を通して沖縄返還が何だったのかを考える機会になれば、30年法要は意味がある」
  
国家と平和の在り方について生涯をかけて問い続けてきた若泉敬氏。
    
私たちが果たすべき責任が、いま問われています。

 

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