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朝倉孝景が越前平定を決定づけた小山城、義景が逃げ込んだ洞雲寺 朝倉氏の栄華“始まりと終わりの地”大野
朝倉氏ゆかりの地といえば、福井市の一乗谷を思い浮かべる方も多いと思いますが、実は大野とも深い関わりがあります。墓所だけではない、ゆかりの場所に「小旅」のコーナーで訪ねます。
大野城下にある公園。遊具に施されているのは朝倉氏の家紋「三つ盛木瓜」です。古くから義景公園として親しまれているこの場所に、福井ゆかりの戦国大名・朝倉義景の墓があります。
百年続いた朝倉家の最後の地とされる大野は、実はその始まりから深い縁がありました。
戦国時代が始まるきっかけとなった応仁の乱。地方でも大名が領地を広げようと各地で戦を始めました。この戦乱のさなか、越前を平定しようと合戦を続けたのが初代・朝倉孝景です。
孝景が越前の攻略を進める中、長く越前を支配していた斯波氏らが1475(文明7年)、現在、日吉神社がある土橋城に立てこもり激しい合戦となりました。この戦いに勝利した朝倉氏はようやく越前支配を確かなものにしたのです。
大野市の学芸員は「大野郡を特に本拠地にしていた斯波氏の家臣に二宮という一族がいるが、最後まで強硬に抵抗していた。この大野郡の二宮を討伐することで、朝倉氏の越前の国の支配が決定づいたという流れになる」と当時の状況を説明します。
応仁の乱の後も越前各地で抵抗を続けた斯波氏。1481年(文明13年)、上庄地区にいまも残る小山城で朝倉氏は斯波氏を打ち破り、ようやく越前平定に至りました。
一乗谷を中心に栄華を誇った朝倉氏でしたが、織田信長と敵対し、1573年(天正元年)に一乗谷を追われることになります。
義景が逃げ込んだのが、大野市清瀧にある洞雲寺。この寺に来るよう助言したのはいとこの景鏡でした。寺の前には大きな川、後ろにはうっそうとした山がある天然の要塞のような場所で、義景はまだまだ戦いを続け再起をかけるつもりだったと思われます。
寺には、義景の念持仏として伝わる仏像が今も残っています。合戦場で祭壇にまつり勝利を祈願するための仏像です。
大野で再起をかけた義景。しかし、すべては景鏡の策略でした。景鏡は平泉寺の僧兵たちとともに義景を襲撃。逃げ込んだ六坊賢松寺で景鏡の兵に囲まれ、義景は自害したのです。
六坊賢松寺の場所は諸説ありますが、いまも謎のままです。
「大野郡で義景が自害したことだけがクローズアップされがちだが、百年余り朝倉氏が越前支配を続ける中でそのポイント、ポイントで大野郡が重要な位置を占めていた大きなメッセージを持つ土地だと重層的に知ってもらえると、より朝倉の理解も深まると思う」(学芸員)
義景の墓所では、義景を弔う五輪塔とその側には、最後まで仕えた家臣や愛する小少将らの墓もまつられ、いまも地域の人が花を供え続けています。
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