番組情報
- #23 幻の絹織物“奉書紬”を後世に伝えよ!
- 2025年10月04日(土)放送
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北陸新幹線の福井県内開業に合わせ、福井駅西口に登場した新たな高層ビル。
その外観は、福井の絹織物の代名詞「羽二重」にヒントを得たデザインになっています。福井の「羽二重」は、縦糸2本、緯糸1本を交互に追った織物で、建物をよく見てみると分かります。このように、福井の新しいランドマークのデザインに取り入れられるように、福井県は、まさしく繊維王国。
福井県が輸出用羽二重の生産で日本一になったのは、明治35年のこと。以来、糸の素材が変わっても、日本一であり続けていきました。
福井の絹織物の象徴「羽二重」の製造が盛んになる以前、福井で織られていた絹織物があります。それが、奉書紬です。
諸説ありますが、初代福井藩主・結城秀康が、生産を奨励したことに始まるともいわれます。また、奉書(越前和紙の奉書紙)のように丈夫で真っ白だったことから奉書紬と名付けられたともいいます。
通常、紬は、出荷できないような質の悪い繭や“ふし”になりやすい玉繭からとった糸で織った織物で、庶民の着物に使われていました。しかし、質が良かった奉書紬は、藩士の着物に使われたり、福井藩の献上品にも用いられたりしたとも言われています。
坂井市三国町に住む嘉村亜紀子さんは、福井県内で生産された玉繭を使い、“令和の奉書紬”を織っています。
短大で染色を学んだ嘉村さんは、衣食住のうちの“衣”に関する仕事に携わりたいと、福井県内の呉服店に就職。そこで、手織りや、繭から糸を取り出す製糸を学びました。
一時期、夫の転勤や子育てなどで、織物に関する仕事から離れていましたが、子育てが一段落をしたことをきっかけに、「再び、織物の仕事がしたい」と、呉服店で使っていた手織り機を譲り受け、自分の工房を開きました。次第に、素材にこだわるようになる嘉村さん。しかし、福井県で繭を生産する養蚕農家は、1軒だけになっていました。
嘉村さんは、福井の養蚕文化を残したいと、養蚕農家を手伝い、その技術を学び、自らも蚕を飼い始めます。もちろん、エサとなる桑も知人に協力してもらいながら栽培します。嘉村さんの絹織物への思いは、家族も驚くほどです。
嘉村さんは、養蚕農家から購入した繭や自ら生産した繭から糸を取り出します。
「諏訪式座繰機」という明治時代に開発された機械を巧みに操り、絹糸を取り出していきます。昔ながらの方法で絹糸を取り出すことで、蚕が糸を吐くときに出来た天然のウェーブが残され、絹糸や絹織物の光沢になるのだそうです。
蚕が作った繭から糸を取り出し、絹織物を織る。この一連の工程を辿ると、絹織物に対する思いも変わってくるし、その思いを多くの人に知ってもらいたいと嘉村さんは話しています。“令和の奉書紬”を織る嘉村さんですが、文献や資料の中で知った奉書紬をもとにオリジナルの奉書紬を織っていますが、実際に実物の奉書紬を見たことがなく、是非目にしてみたいといいます。
そこで、福山研究員が“奉書紬”を調査に乗り出します。
まず、図書館を訪ねた福山研究員。そこで見つけたのは、福井県を代表する繊維会社「セーレン」の100年史に登場する写真。
「奉書紬紋付羽織」との記述が添えられています。しかし、白黒でよくわかりません。セーレンや写真の提供を受けたという商工会に問い合わせても分からないと、手掛りが途絶えてしましました。
その他に手掛りがないかと博物館を訪ねると、学芸員も見たことがないといいます。
本当に奉書紬は幻なのか。何故、見ることが出来ないのか。その理由を聞いてみると、奉書紬は、繭からとった天然素材ので、劣化しやすい素材だということ。また、庶民の着物に使われるような素材なので、あえて残されてこなかったのではないかということ。などが理由として考えられます。
残念ながら奉書紬を見つけることが出来なかった福山研究員。嘉村さんに報告するとともに、引き続きLABOのホームページで情報を集めることにしました。というわけで、ホームページをご覧の皆さまにお願いです。
もしかしたら奉書紬かもという着物や反物、サンプルなどに心当たりがある方はぜひ、番組のホームページのお問い合わせフォームから情報をお寄せください。もしも幻の奉書紬が見つかったら世紀の大発見につながるかもしれません。
よろしくお願いします。
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