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“開かずの扉”と闘い続けた前川彰司さんの38年 再審を拒む検察が作り上げたえん罪 裁判長「失望を禁じ得ない」【プレイバック2025年】

2025.12.29 16:30

えん罪を晴らすため、38年を費やした男性がいる。還暦を迎えた福井市に住む前川彰司さんは、39年前に福井市で起きた女子中学生殺人事件で人生が一変した。21歳の時に殺人容疑で逮捕され、懲役7年の刑が確定し服役。だが一貫して無罪を訴え、2度目の再審請求で行われた裁判で逮捕から38年、ようやく「無罪」が確定した。前川さんは「再審法の改正につなげたい」と声を上げている。

 

◆一審「無罪」から二審で逆転「有罪」に

 

事件当時の殺害現場となった市営住宅

 

1986年3月19日夜、中学校の卒業式を終えたばかりの15歳の女子生徒が、福井市営団地の自宅の一室で、顔や首をめった刺しにされ殺害された。犯行の残忍さから警察は、同じ年齢層の非行グループのリンチを想定して捜査を進めるが、黙秘や虚偽の証言が相次ぎ捜査は難航した。
 
ある日、別の事件で取り調べを受けていた暴力団組員の男が「血の付いた前川を見た」と発言。突如として、前川彰司さんの名前が捜査線上に浮上。そして事件から1年後、当時21歳だった前川さんが逮捕された。
  
前川さんは「シンナーや薬物に溺れていた。恐喝や暴力も含めて、やりたい放題やっていた」と、自身が疑われる理由があったと話す。しかし一度も犯行を認めておらず、逮捕直後から「えん罪」を訴え続けた。

 

一審で無罪判決を受けた前川さん

 

1990年9月、福井地方裁判所が前川さんに言い渡したのは「無罪」。当時、裁判官の一人だった林正彦弁護士は「被告人と犯人を結びつける直接の物証がなく、証拠構造としてもろいと感じた」と振り返る。検察側の主張は事件当夜に「血の付いた前川を見た」という関係者の供述のみで、林氏はその信用性は乏しいと判断したのだ。
  
しかし、検察側が控訴。第二審の名古屋高等裁判所金沢支部は懲役7年の逆転有罪判決を下した。最高裁への上告も棄却され、刑が確定。逮捕時から一貫して無罪を訴え続けていた前川さんは、服役後に1回目の再審を請求し認められたものの、検察の不服申し立てにより取り消された。
 
事態が大きく動いたのは2024年10月23日。名古屋高裁金沢支部は2度目の請求で、再審開始を決定。前川さんの逮捕から、実に37年の時が経っていた。

 

◆関係者供述を覆したのは、開示された新証拠

 

開示された新証拠など

 

再審開始の決め手は、検察側から新たに開示された287点もの証拠だった。弁護団長の吉村悟弁護士は「前例がないほど充実した証拠開示だった。裏を返せば、それだけのものを警察、検察が隠していたということだ」と指摘する。
  
実はこの開示された証拠こそが、前川さんの有罪判決の根拠となった約10人の関係者供述の信用性を根底から覆すものだったのだ。
 
30年以上経ってから証拠が開示された理由について、刑事訴訟法を専門とし再審制度に詳しい大阪大学の水谷規男教授は「2009年に始まった裁判員制度が影響したのではないか。証拠開示が制度化され、検察側が証拠隠しを批判されるリスクを避けるようになった」と指摘する。

 

再審公判前の前川さん

 

2025年3月6日に始まった再審公判では、改めて「関係者供述の信用性」が最大の争点となった。そもそも、物的証拠も自白もなく「血の付いた前川を見た」といった関係者供述に頼った状況から、水谷教授は「物的証拠がないのに起訴に踏み切った危うさがあった」と捜査機関の問題を指摘する。
  
弁護側は開示された新証拠に基づき、関係者供述に「変遷」と「相互依存」という二つの重大な問題点があると主張した。
  
例えば、ある関係者は血の付いた服の投棄場所について供述を二転三転。さらに、別の関係者が事件当夜、タクシーで前川さんを迎えに行ったと供述していたが、捜査報告書には福井市内すべてのタクシー会社の運転日報に、その供述を裏付ける走行記録はなかったことが記されていた。
   
さらに、供述の根幹を支えていた事件当夜に関係者が見たとされるテレビ番組「夜のヒットスタジオ」の特定のシーンは、放送日が異なっていたことが判明。一つの嘘が崩れたことで供述全体のつじつまが合わなくなり、証言の信用性が完全に失われたのだ。
 
再審公判で検察側は、テレビ放送の日時が違ったことを認めたうえで、従来の主張を繰り返すにとどまった。一方、弁護側は新証拠を元に捜査のずさんさを明らかにし、無罪を主張。公判は即日結審した。
 
結審後、前川さんは「憤りや腹立たしさは当然ある。警察や検察が関係者のウソを見抜けなかったことにそもそも原因があった」と心境を語った。

 

◆「大変な苦労をおかけした」と裁判官が謝罪

 

増田啓祐裁判長

 

そして2025年7月18日、名古屋高裁金沢支部の増田啓祐裁判長は「本件、控訴を棄却する」と一審の無罪判決を支持。「うその供述に沿うよう関係者の供述が形成された合理的疑いが払拭できず、信用できない」と判決理由を述べ、検察に対し「失望を禁じ得ない」と強く非難した。
  
最後に増田裁判長は「39年もの間、大変な苦労をかけてしまいました。申し訳なく思っています。事件にかかわった一裁判官として取り返しのつかないことになり重く受け止めています。前川さんのこれからの人生に幸多からんことをお祈りしています」と謝罪した。
 
前川さんは裁判長のこの言葉を「今後の再審えん罪者へのエールだと受け取っている」と語った。
  
2025年8月1日、名古屋高等検察庁が上告権を放棄し、前川さんの無罪が確定。高検は「関係者の虚偽供述に沿う他の供述が形成された疑いがあるとの裁判所の指摘を重く受け止めている」とコメントした。
  
前川さんは会見で「多くの犠牲を払ったが、悲願が果たせた」と涙ぐんだ。同席した吉村弁護士は「本来起訴すべき事件ではなかった。検察が作り上げたえん罪事件だ」と厳しく批判した。
 
ずさんな捜査でえん罪を生み出すことになった福井県警の増田美希子本部長は「判決を重く受け止め、適正な捜査に努める」としたが、前川さんへの謝罪の言葉は口にしなかった。
 
一審にかかわった元裁判官の林氏は「真相解明が法曹の重大な使命で、えん罪防止は法曹全体の重要な責務。そういう観点で証拠を扱ってほしいと痛感する。前川さんを早期に救済できなかったのは刑事司法全体の問題。その一員として活動していた私も、申し訳なかった」と述べた。

 

◆“開かずの扉”との闘い

 

再審法改正に向け声を上げる前川さん

 

逮捕から38年、ようやく潔白を証明した前川さん。「悪かった方が謝るのが社会のルール。警察・検察には相応の事をしてほしい」。2025年12月9日には刑事訴訟法に基づき、裁判費用の補償を福井地裁に請求した。今後は、逮捕や服役に伴う8年余りに及ぶ身柄拘束に対する賠償金の請求も予定している。
 
さらに前川さんは「私の無罪判決の勢いを再審法の改正につなげたい。それが僕らの責務だ」と、自身の経験を冤罪防止に役立てる決意だ。
 
国会ではすでに再審法の改正議論が始まっている。特に問題が指摘されているのは▼再審に入るまでの細かな手続きやルールが決まっていないこと▼証拠の開示に関して検察に命令するかどうかは裁判所の裁量に委ねられていること▼再審開始決定に検察が不服を申し立てられること。
 
これらが高いハードルとなり、請求があっても再審開始が認められるのはわずか1パーセント。それが“開かずの扉”と言われるゆえんだ。捜査機関による証拠隠蔽を防ぐため、すべての証拠を開示する「全面開示」の導入も焦点だ。
 
人生の半分以上を費やし、ようやく冤罪を晴らした前川さんの闘いは、日本の刑事司法制度の課題を鮮明に浮かび上がらせている。

 

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