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平清盛や織田信長も夢見た“日本海と琵琶湖を結ぶ大運河” 敦賀にいまなお残る歴史ロマン 江戸時代の水路跡「疋田舟川」
福井県敦賀市に江戸時代の水路跡が残されています。古くは平清盛や織田信長も夢見たとされる歴史とロマンあふれる水路を巡ります。

敦賀市南部、国道8号と国道161号が分岐する山あいにある集落・疋田は、かつて宿場町として栄えました。
集落の中心には、石積みの水路があります。一見、よく見る水路のようですが、ここには歴史とロマンが詰まっています。
水路脇にある「愛発舟川の里展示室」に入ると、江戸時代に加賀藩によって作られた測量図や当時この場所で運航していた川舟の模型が展示されています。
実はこの水路、敦賀湾と琵琶湖をつなぐ“大運河構想の名残り”なんです。
敦賀市中心部から琵琶湖までは、直線距離で約20キロ。その中間地点に位置するのが疋田で、古くは平安時代の平清盛、戦国時代の織田信長、昭和に入っても時の権力者が“日本海と琵琶湖を結ぶ大運河”の実現に向け、何度も計画を立ち上げました。
しかし、山を切り開く技術的な難しさや莫大な費用がかかることなどから実現することはありませんでした。

そんな中、江戸時代後期に実際に作られたのが敦賀港から疋田までの約6.5キロを結ぶ「疋田舟川」です。
現在、水路の一部には舟川が復元されています。
吉田圭吾アナウンサー:
「あ!川底に丸太…木が埋まっていますね」
「胴木」と呼ばれる丸太は、浅い水路でも舟をスムーズに滑らせるためのもの。当時は、魚やコメなどを積んだ小舟に縄をつなぎ、両岸から人力で縄を引いて運んでいました。
運河とは、ほど遠いものの幅約3メートルの舟川が開通したことで、敦賀港と琵琶湖を結ぶ物資の中継地となった疋田。一時、中断を挟みながらも疋田舟川は30年近く物流を支え、宿場町ににぎわいをもたらしました。
しかし、幕末の豪雨で被害を受け、短くして水運としての幕を閉じた疋田舟川。
その後も浮かんでは消える大運河構想に翻弄されながら、鉄道や道路の発達に伴い生活用水や農業用水に姿を変えた疋田の水路。川底に復元された胴木は、壮大な大運河のロマンをいまも静かに語り続けています。
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